『ひとり』の女

女は男と付き合っていた。コンドームを買いに、女はひとりでコンビニにいた。田舎のコンビニは遠く、車を使わないと行けない。

「女ひとりで深夜にコンビニ行かせる男とか…。大体あいつはなんで家でひとりでゲームしてるんだ。クソ男が。」

と心の中で悪態をつきながら、雑誌コーナーの向かい側で求めているものを探す。

「だいたい洗剤とか、制汗剤とかの近くにあるんだ、こういうのは。」

見つけた。

単品でレジに持っていくのは恥ずかしい。向かいにある、買いたくもないが比較的安くて、売れてなさそうな雑誌を1冊だけ手に取る。旅行の雑誌だった。レジで会計を済ませ、コンビニを出る。

このご時世、旅行なんて行ってない。そういえばあのクソ男はどこにも連れて行ってくれないな。田舎だから行くところがないのは仕方がないけど、どこかに連れて行ってくれないかな。

女はまた心の中で男に悪態をつく。しかし女は男が好きだった。

 


「顔がいいんだよな、顔が。あと時折見せる優しさとか好きだし。」

自分の恋人である男の顔を思い浮かべながら、好きな理由を一生懸命探し、言葉を紡ぎだす。声に出せば変わるかと言われれば、別に変わるわけではないが、嫌いな男のために買い物に来ている事実が『嫌い』で、どうにか自分の感情をプラスに持っていきたかった。そんな気持ちだった。シートベルトを締め、車を出す。

 


告白した日のことをふと思い出す。

付き合いたての頃は、毎日料理をふるまってくれた。愛情表現も今よりずっと多くて、もっと満たされていたのに。いつからこんな状態になってしまったんだろう。別に嫌いになる瞬間なんてなかったはずなのに、いつの間にか嫌いになってしまっていた。

 


「もういっそ、このままどこかへ行ってしまおうかな。温泉とか、ユニバとか、久しぶりに行きたいな。」

そう思った。でも一人で行く勇気なんて…

 


気付いた。

「ひとり」

言葉を口に出す。

 


「ひとりだ」

今の自分の状態は紛れもなく『ひとり』だった。

男に依存し、いいように使われ、行きたくもないおつかいを引き受け、感じる必要のない恥ずかしさを感じさせられ、帰路につく自分。

 


たったひとつの事実に、無性に悲しくなってきた。ここには慰めてくれる相手はいない。帰ったところで、性欲のはけ口にされるだけだと知ってしまっている。

 


「私は、ひとりなんだ」

涙は出なかった。路肩に駐車し、先ほど買った旅行雑誌に目を通す。

それだけで十分だった。雑誌を閉じ、また車を出す。

女は家に向かわなかった。誰もいない大通りで車を旋回させ、まったく別の方向に向かう。

財布とスマホは持っている。

女はアクセルを強く踏み込む。なにかを振り払うように、強く、強く。

何かが変わる、そんな予感がした。

めんどくさがりの四季

服を買いに行った。

どうせMサイズぴったりの人間だし、

試着とかしなくていいだろ。

雨が降りそうだったから、急いで自転車にまたがって、帰る。

 

帰って、着てみた。

気付く

 

「おいおい、これLサイズじゃん。サイズの表示間違ってつけてたんだ…。

試着してれば気づけたかもな。でも…雨降ってるし…交換しに行くのもな…」

 

めんどくさくて

 

『そうだ、俺はオーバーサイズのファッションで着ることにしよう。

そういえば一度やってみたかったんだよね。』

 

別におしゃれな人間ではないけど

返しに行くのが

めんどくさいから

自分に言い聞かせて

「ってかオーバーサイズってなんやねん。そんな単語聞いたことないわ」

と思いつつも

だぼだぼのまま着て

外に出て

店の窓に映る自分の姿を見たら

今世紀で一番くらい超絶ダサくて

大雨の中

交換しに行った。

 

その日の午後は

びっくりするくらいの晴天で

なんか損した気分になって

ベランダでため息をつく

そんな、夏が終わる。

 

セミはだいぶ静かになって

トンボが軽快に飛び回って

夜は窓を開けて寝ればちょうどいいくらいの気温になって

起きたら少し肌寒くて、気づいたら毛布を被っていて

 

毎年経験しているけれど、まだ慣れない。

秋が、来る。

大人になるって、つまらない。

よく「生きるってなんだろう」とか「死ぬとどうなるんだろう」とか

小難しい題材を扱う書き物ってあるけど

それを議論する必要ってあるのだろうか

と思ったりする。

 

「死んだら全部終わり」とか「生きるのに理由はいらない」とか

カッコつけるようなタイトルで綴られているのを見ることが多いけど

それを書いている人は生きているわけで

死んでいないわけで

じゃあエアプじゃん、とか

性格の悪い自分が出てきて「自分きっしょ」って思うことがあって

嫌気がさしてきて

 

もっと夢のあることを考えたいななんて思って

宇宙とか、物理学とか、数学的な何かをじっと考えてみると

これって役に立つんだろうか

とか、無意味な考えに至ってしまって

 

本来の「つぶやき」「妄想」とかって

意味のあるもの、役に立つことを求めていたわけじゃなかったはずなのに

大人になっていつのまにか

意味があるかどうか、効率はどうかとか考えてしまって

そんなときに、無邪気に人生楽しめてた子供のころに戻りたいな

そう思ってしまう。

 

大人になるってどういうことなんだろうかって考えると

「性的な成熟や身体的・精神的な成熟」

そういう字面で語られることが多いけど

実際、もっとわかりやすい変化として

「どんなものにも意味や効率を求めるようになる」

っていうのがあるんじゃないかと思ってしまう。

大人になって人生がつまらなくなってしまった。と感じる人は

こんな考え方にとらわれてしまっているんじゃないかと思う。

自分もその一人。

 

だけど

考え方を変えるのって簡単なことじゃないから

こういう思考って

死ぬまで変わらないんだろうな。

そう思う。

「日課」

 夜中遅くまで大量の酒を飲み、帰りのタクシーもなくなっているような時間、頼りない足取りでふらふらと男は歩く。借金や離婚など、考えることがたくさんあって日常に嫌気がさしていた。なんの気まぐれか、路地裏で「ごそごそ」という音がして振り返った。誰も気にしないような小さいマンホール、人は入るのだろうかと感じさせるようなその小さなマンホールが、少しだけ開いている。男は訝しげにその光景に近づいた。それがすべての始まりだった。開いたマンホールの口から、それはそれは細い、人の手が出てきて、男はマンホールの中に引きずり込まれた。なにかを処理した汚水が流れているのだろう。

 

 鼻を劈くようなにおいを感じながら、マンホールの奥へ奥へと引きずり込まれる。自分をつかんでいるこの人は誰なのだろう、そんなこと以外考えられなくなるくらい切羽詰まっていたが、同時に、つまらない日常が変わるような予感がしていた。 

 

 マンホールの奥へとたどり着くと、そこには椅子やテーブル、使い古されたぼろぼろのソファなどが広い空間に乱雑に配置されていた。裸電球は目が痛くならない程度の優しい光をチカチカと出し続けている。椅子やテーブルはホコリをあまりかぶっていなく、現在進行形で使用しているのだろうなと感じさせる様相であった。そこまで見てから、この異空間まで自分を連れてきた張本人の顔を確認した。 

 

 それはやせ細った一人の女の子であった。拒食?DVの被害者?…そのような言葉たちが脳裏にチラつく。異様なほどに細くみすぼらしい格好でその場に立ち尽くし、こちらをじっと見ていた。 

 

「だれ…?」 

 

少女は男に簡単な質問を投げかけた。男は答える。 

 

「私はそこの会社で会社員をしている井上っていうんだ。君は…?」 

 

恐る恐る少女に名を尋ねる。ここまで連れてこられた目的が分からないのもあったが、いつ彼女の琴線に触れるかわからずハラハラするようなピリつきを感じ、突っ込んだ質問はできないと踏んだからだ。 

 

「私はなにも…名前はない…かもしれない」 

 

少女は静かに答える。しかしある程度のコミュニケーションは可能なほどには言葉を喋ることができそうだ。 

 「言いたくなければ言わなくてもいいよ。」と言い、少女について色々質問してみた。どうやら彼女は物心つく前に両親を亡くし、一人で生活してきたようだった。食料は路上のごみ箱を漁ったり、住居の近くに住み着いたネズミを焼いて食べたりしているらしい。また自らの衣服はぼろ布を自分で縫い合わせて作ったという。椅子やテーブルについてはよく覚えていないという。かなり昔から使ってきたのだろう。デザインもかなり古いものだった。 

可哀相に思い、井上は言う、 

 

「なにか必要そうなものを持ってきてあげようか?少しならあげられるものがあるかも」 

 

少女は答える、 

 

「いや、べつにいい」 

 

そう言い終わるころには井上が異変に気付いた。少女はおなかがすいたような顔でこちらを見ていたのだ。もしやと思い、井上は聞く。 

 

「食べ物を買ってきてあげようか?なにがいい?」 

 

少女は答える、 

 

「いらない」 

 

なぜだろう。自分ならすぐに要求してしまいそうなものだが、と井上は思ったが、その疑問の答えが5秒後には、実に明確に返ってきた。 

 

ズ…という鈍い音があたりに響いた。どこからだろう、とあたりを見渡すが回答は得られなかった。気づけば懐に少女が佇んでいた。わずかに微笑んでいるように見えた。同時に、己の腹部の違和感に気付く。なにか鋭利な、鋭利な……… 

 

簡単なことだった。少女にとっては食料を確保するのは日課だった。今日も。